
◆Jean Cocteau(ジャン コクトー)を知っていますか?
ジャン・コクトーは1889年、パリ近郊の町メゾン=ラフィットに生まれました。
8歳で父親を亡くしたコクトーは母親と美術収集家でもあった母方の祖父に育てられます。
その影響もあり20歳という若さで、最初の詩集『アラジンのランプ』(1909年)を出版し注目を集め、
パリの社交界で一気に話題の人物となりました。
その後も、小説、戯曲、評論、映画、絵画と、分野を越えて才能を開花させていきます。
映画界でも有名になったコクトーは、カンヌ映画祭の審査委員長を3度務め、
1955年には、アカデミー・フランセーズの会員に選出され最高の栄誉を得ることとなります。
その多彩さに「芸術のデパート」と呼び名がつくほどでした。
彼の代表作には小説『恐るべき子供たち』、映画『美女と野獣』(1946年)や『オルフェ』などがあり、
20世紀フランス文化を象徴する存在となり、多くの芸術家に影響を与えました。
◆画家に人気者だった、コクトー

「芸術のデパート」と呼ばれたコクトーは、独自の繊細な線描で知られる画家でもありました。
そんな彼の周りにはいつも、モディリアーニやピカソ、キスリングや藤田嗣治といった多くの画家が集まりました。
マリーローランサンもその一人で、生涯ほとんど男性を描きませんでしたが、例外的に1921年にジャン・コクトーの肖像画を描いています。
絵画のみならず、詩や映画など多様な芸術に力を注いできたコクトーは、「画家」というよりも「アーティスト」であり、
独自の視点を持つといった点で、ピカソをはじめ多くの作家に影響を与えたのでしょう。
その背景からも、画家たちと一緒に創り上げた名作品を世に残しています。

⚫︎ピカソとコクトー
コクトーにとって「最大の師であり、最大の友人」であったパブロ・ピカソ。
1917年のバレエ《パラード》でのコラボレーションを機に親交を深め、芸術的な刺激を与え合うライバルであり、良き理解者でした。
コクトーはピカソの創造活動を称賛し、彼をテーマにしたポートフォリオや写真、著作を残しました。
ピカソもまた、コクトーの肖像画をいくつも残しています。
モダニズムのパイオニアとしても知られる二人は、晩年南仏にアトリエを構えます。
1950年頃より、コート・ダジュールにアトリエを構えたコクトーですが、本格的にアトリエを構えたのはこれが初めてだったそうです。
子供の頃から「かくこと」が当たり前だったコクトーにとって、アトリエを構えるよりも書斎や旅先のホテルの部屋で描かれた作品が多く、そのため扱いやすいサイズの彩色素描が主でした。
しかし、コート・ダジュールに自前のアトリエを持つことで、環境が変化。ピカソの助力も得ながら、パステル、石版画、油彩、フレスコ画、ステンドグラス、陶芸など、これまで未経験だった技法に挑戦し、新たな芸術的境地を開いていきました。
この背景からも二人は長年にわたり、よき理解者としてずっと親交を深めてきたことがわかります。

⚫︎藤田嗣治とコクトー
かねてより友人関係にあった二人は、1936年に日本で再会を果たします。
世界一周旅行の旅路の途中で、ギリシア、エジプト、インドを経て神戸に到着したコクトーを、当時日本に生活の拠点を戻していた藤田嗣治が案内したのです。
少ない滞在時間を存分に楽しんでもらおうと藤田がコクトーに用意したおもてなしには、尾上菊五郎の新歌舞伎十八番「春興鏡獅子」、明治神宮参拝や、国技館での相撲鑑賞がありました。
初めて体験した日本の文化に多大な影響を受けたコクトーは、帰国直後に旅行記を刊行します。そこには訪れた国々で味わった想い出をコクトーの視点で描かれていました。
当時日本でその旅行記を手にした藤田は、日本のページに想い出のイラストを描き加えていたそうです。
そんな旅行記出版から約20年後の1955年。
日本にまつわるテキストを抜粋し、12の章へと再構成した挿画本『海龍(La Dragon des mers)』が175部という非常に少ない部数で限定出版されました。
そこには藤田が友人コクトーのために25点の挿絵を特別に描き下ろし、全て職人により銅版画で刷られました。
感受性溢れるコクトーの言葉に、藤田の生き生きとした線描が小気味よく重なり合い、ジャン・コクトーと藤田嗣治の合作による挿画本に仕立てられました。
この挿画本が出版された1955年、
この年は戦後日本との決別を決意し、再びパリの地へと渡った藤田がフランス国籍を取得した記念の年ともなりました。
◆ジュエリーブランド《カルティエ》の知られざる繋がり

そんなコクトーにはあのジュエリーブランド《カルティエ》との秘話があるのをご存知ですか。
コクトーは、カルティエのアイコン「トリニティ」リングを小指に2つ重ねて肌身離さず愛用していたことで有名です。
1924年にルイ・カルティエに依頼して誕生したとされるこの3連リングのスリーゴールドには「愛情、友情、忠誠」の意味が込められてており、やがてあらゆる愛の象徴として、その意味は身に付ける人の解釈に委ねられてきたそうです。
コクトーは当時の恋人で俳優でもあった、マレー(Jean Marais)にこのリングを贈ったと言われており、こんな言葉を残しています。
「1つ目のリングは君、2つ目は僕、そして3つ目はふたりの愛を意味する」
なんともコクトーらしい詩人的な言葉ですね。
哲学的な美感を持つ「トリニティ」リングに魅了され生涯愛し続けたコクトーの様子は、 多くのポートレートに残っています。
また、ビュッフェによるコクトーの肖像画(1955)にも、左手の小指には「トリニティ」リングがしっかりと描かれています。
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◆gallery KASAIで紹介するコクトー作品

「スフィンクス」
紙にパステル 1957年頃
画寸:64.9 × 50.0 cm
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本作はコクトーが愛した神獣でもある《スフィンクス》、
エジプト神話の神聖な守護獣がモチーフに描かれている。
百獣の王の力と王者の知恵を併せ持ち、
神殿を守る存在として崇められている。
コクトーはスフィンクスを気に入っており、
晩年住んでいた住居にもスフィンクスのブロンズが今も置かれていおり、
守神として大切にしていた存在だった。
コクトーが手がけた「美女と野獣」の野獣は、
スフィンクスを題材にしたとも言われている。
また、多くのロイヤルウェディングや王室の祝祭に関わってきた、フランスの高級ヘアブランド「アレクサンドル ドゥ パリ」のロゴにもスフィンクスが描かれており、
生前のコクトーが、友人の創業者アレクサンドルへデザインを贈ったものである。
コクトーが愛したスフィンクスには、詩人ならではのユーモアと自由さ、そして人柄が現れている愛嬌が作品に現れている。