Masaaki Toyoyoshi

豊吉雅昭

略歴

  1. 1975年

    埼玉県に生まれる。両親は食材卸業の傍ら飲食業を営み、5歳の頃より家業を手伝う。
    休みも少なかったせいか友達も少なく、よく一人でファミリーコンピュータで遊ぶ子供だった。小中学生の頃に虐めを受け、特に中学では5、6人がかりでの暴行を受けるほどだった。芸術には全く興味を持たず、父が購入した富士山の写真に対してお金の無駄遣いだと大喧嘩したこともあった。

  2. 1997年


    東京国際大学卒業。
    在学中はコンピュータに傾倒し、日本情報処理学会にて論文「robotとHotSauceを用いた個人HomePage環境管理」を発表。卒業後は日本システム技術株式会社に入社、システムエンジニアとして勤務。

  3. 2002年

    システムエンジニアとしてイクスピアリの販売管理システム、NTT docomoのデータウエアハウスシステム、日本野球機構の公式データベースシステムなどの開発に携わる。
    日本野球機構のシステム開発において日本初の手法を用いたことで取材を受け誌面掲載された。
    同時期に緑内障に罹患、進行し悪化に伴い技術者としての限界を感じて退職。

  4. 2010年

    見えなくなる前に撮れるようになりたい一心から写真に傾倒。写真家 所幸則氏に師事。同時期に家業の一つのクリーニング取次店の業務をこなしながら撮影を続けるも緑内障が悪化。外科手術での治療が必要になり店舗を閉店し治療に専念する。しかし結果は思わしくなく、自分がもう見えなくなると絶望して引き篭もるようになる。以後6年間で4度の外科手術を受け、左目には医療用のチューブとプレートが入っている。

  5. 2020年

    緑内障患者会の緑内障フレンドネットワーク、”7本指のピアニスト”西川梧平氏との出会いがきっかけで引き籠りを脱する。左眼視野の大半と右眼視野の3割程度を消失していたが、自分の”見えない視界”を写真作品で表現するシリーズ「MONOCLE VISION」の制作を開始。同時期より西川悟平氏のリハーサルポートレートも撮り始める。8月には緑内障患者/写真家としてNHK Eテレの番組に出演。

  6. 2022年

    個展「MONOCLE VISION」を銀座で開催。この頃まで作品は全て白黒作品だったが、個展開催後からカラー作品にも取り組み始める。また国内外の現代美術・写真のコンペティションに積極的に挑戦するようになり、2023年及び2024年には合計46のコンペティションで入賞・入選している。緑内障による視野消失が進み、歩行支援具の白杖を使い始める。同時期に親の介護が本格的になる。

オンライン購入