
◆一度は見るべき壁画:ラウル・デュフィ「電気の精」
先日渡仏した際に、パリ私立近代美術館へ念願のデュフィ作品を観に行ってきました。
間違いなく、“人生で一度は見るべき名画”といえます。
私たちも感動のあまりしばらくの間、彼の世界に浸かっていました。
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Raoul Dufy -ラウル・デュフィ-
「電気の精」-la Fée Électricité-
depuis 1937 10m × 600m パリ私立近代美術館収蔵
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圧倒的な色彩の世界観を持つ「電気の精」は、デュフィが60歳のとき、
1937年開催のパリ万国博覧会にてパビリオンのモニュメントとして壁画の依頼を受け製作しました。
大きさが縦10m、横60m、
その膨大さからデサッンのみで1年の歳月を費やします。
思案の末、主題に選んだのは、電気にまつわる科学者や哲学者を讃える壮大な物語。
今ある電気の発明に携わった偉大な100人以上の英雄たちを登場させます。
舞台の始まりは古代ギリシャ。
三哲学者「アルキメデス・タレス・アリストテレス」のいる牧歌的風景から物語が始まり、
次第に古代ローマのコロッセオや橋、工場などが現れ、都市の発達にみる文明の進化が描かれていきます。
時は流れ、人間の叡智の進化や近代文明をオリンポスの神々が祝福。
その後、新しい発明が次々と世に生み出され、モールスの電信機、レントゲンの実験器具、さらにエジソンの電球へと時代は移っていきます。
電気の妖精が世界をめぐり、電気のおかげで人々の生活が豊かになり、最終話は、地上からの光を浴びて電気の精が飛翔する場面で締めくくられています。
本作が誕生した1937年は、第二次世界大戦(1939-45)
前夜の不穏な空気が漂う時代ではあったが、
『電気の精』は幸福に向かう人類の進化への動きが描かれており、
デュフィの未来に向けた本来の進化の願いが込められています。
当万博会場にて電気・エネルギーなど近代文明の進化を讃えるための「電気館」が設けられ、本作はイラストレーターと兼アーティストとしての評判を得て、大盛況を博しました。


パブロ・ピカソ「ゲルニカ」1937年 349.3x776.6cm
また同じくこの万博で、スペインのパビリオンに出品されたのは、
歴史的傑作、パブロ・ピカソ「ゲルニカ」です。
当時訪れた人の多くが、戦争の悲劇を描いた「ゲルニカ」に背を向け、デュフィの「電気の精」を目にするために行列を作ったと言います。

◆ラウル・デュフィとは
20世紀の巨匠の一人、
唯一の「色彩としての光」を生み出したラウル・デュフィ。
油彩と水彩における光の表現を追求し、生きる喜びに満ちた高揚感溢れる独自の作風が評価されています。
1877年、北フランスの港町に貧しくも音楽が大好きな一家の9人兄弟の長男として生まれたデュフィ。
家計を助けるために一度ブラジルコーヒーの輸入会社に勤めるも、18歳の時には画家を目指し夜間クラスを受講するようになります。
その才能は絵画に留まらず、挿画、舞台美術、タペストリーや織物のテキスタイイルデザイン、陶器の装飾、更には「VOGUE」表紙などを手がけるなど、多くのシーンで活躍しました。
彼の代表的なモチーフは、故郷を思わせる海や花などの自然、また音楽関係の仕事をしていた両親の影響もあり、オーケストラや楽器を題材にした作品も有名です。
オルセー美術館やポンピドゥー・センターをはじめ世界各国の美術館が収蔵しており、日本の美術館でも愛知県美術館や伊丹市立美術館などで名画を見ることができます。
◆音楽が聞こえてくるような表現の秘訣
デュフィの特徴である、今にも音楽が聞こえてきそうな即興的な筆運びにはいくつかのこだわりが詰まっています。
①左手で描く
実はあまりにも上手に描けてしまうので、面白くないと考えたデュフィは、
敢えて利き手ではない左手で描きはじめます。即興的な筆運びは、ここからきているのだと納得ですね。
②溶剤「メディウム」を開発
軽やかなタッチを表現するために、水彩を好んで多く描いていたデュフィですが、
もちろん「電気の精」は壁画ですので、油彩で描かれました。
しかし、デュフィは壁画制作にあたり、水彩のような淡い色遣いを表現するため、
化学者のジャック・マロジェとともに顔料の研究に没頭します。
そして顔料の不透明性を取り除く溶剤「メディウム」を開発。
油彩で軽やかな筆運びが再現可能となり、その後も自身の作品に積極的に採用する様になりました。
当時はデュフィ以外の画家は、「メディウム」を見向きもしませんでしたが、
今では多くの画家が使うポピュラーなものとなりました。
このようなデュフィのこだわり一つ一つが、彼にしか出せないタッチや色彩となり表れ、
今も多くのコレクターを惹きつける秘訣なのでしょう。
◆galleryKASAIが紹介するデュフィ作品

ラウル・デュフィ
「生命の泉:ムーラン・ド・ギャレット」
1954年 リトグラフ
ー「生命の泉」とは??
「生命の泉」は、1953年75歳でこの世を去るまで創作活動を続けたデュフィが、最後に残した挿画本です。
エロン・ドゥ・ヴィルフスが書いた章のテーマごとに、デュフィが挿絵を製作。
果実酒をテーマに、それにまつわるフランス人の生活や芸術家との関わりについて書かれたもので、晩年の病との闘いを経て得た深い洞察と、生への強い愛着が表現されている、最後に相応しい作品です。
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