略歴
1887〜
7月7日 旧ロシア・ヴィテブスク(現在ベラルーシ)にて、
ユダヤの家庭に生まれる。
父・ザハールは鰊の貯蔵庫に勤めていた。1911〜1915

シャガール24歳。 念願の夢のParisにて画家として挑む為、
1911年 5月にParisへ渡る。
1910年代のParisは、
既にパブロ・ピカソが前衛美術の王として君臨していた。
7月25日 周りからの反対を押し切り、
最愛の妻となる、ベラ・ローゼンフェルトと結婚する。
翌年に娘・イダが生まれる。
シャガールの代表的なモチーフとなる恋人たちのモチーフの原点である。1923〜

第一次世界大戦の影響下でロシアからParisへ長期戻れずなど、
失われた時間を過ごすも、
Parisにおいてシャガールの名前が浸透し始める。
戦火を逃れる為にParisからロシアへ戻るが、
Parisへ残した作品がParisへ戻ると大半が消えていたことにショックを受けるも、
のちの名作となる「記念日」を自身の記憶を頼りに再び描く。
「記念日」が2作品あり、1915/1923とあるのはこのようなストーリーがあった。1941-46

1941年 迫り来る戦果の始まりを背にしながら、
アメリカにいる画商ピエール・マティスやニューヨーク近代美術館からの招聘を受けたことにより、アメリカへ。
バレエ・シアターからの依頼により、
大作「アレコ」を手がける。
1944年 ラジオから戦争の終結を知り、
Parisへの帰国を決意した最中、
最愛の妻・ベラが急逝。
シャガールは悲しみに沈み、以後9ヶ月間も製作をしなくなるも、
娘・イダの尽力により再び筆を取り始める。
この年の復活のきっかけとなった名作が
「アラビアン・ナイトシリーズ」1947-1964

1951年頃 若き日の憧れであったパブロ・ピカソとようやく対話の席につく。
互いのことを内面では認めていたが、
この年が最初で最後の対面になった。
「シャガールのみが、本当の色彩を使いこなせる」
ーPablo Picasso
「ピカソは天才だ。彼が絵画を描かないのは残念だ
ーMarc Chagall
1964年 フランス文化大臣 アンドレ・マルローより依頼を受け、
オペラ座へ天上画を描く。
また、同年ニューヨークの国連本部にもステンドグラスを描く。
題名「平和」1965-1985
1960s~70s Parisを始め、ニューヨーク・ドイツ・日本..etc
世界中でシャガールの回顧展が開催される。
1985年 ロンドンのロイヤル・アカデミーでも回顧展が開催される。
同年に眠るようにして逝去。享年97歳。
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