KayOne(ケィ・ワン)をご紹介!

アートで愛のロックンロールを奏でる、グラフィティアーティストの先駆者

英語では「落書きの芸術」という意味をもつ、グラフィティアート。バンクシーの目新しい活躍もあり、グラフィティやストリートアートという言葉をよく耳にするようになりました。

しかしこれらの落書きが「アート」として認識されるようになったのは1970年代頃、アメリカ・ニューヨークからとされています。

1980年代から流行したヒップホップカルチャーを背景に、グラフィティアートは世界的な広がりを見せ、アーティストたちは独自のスタイルを発展させていきました。落書きから始まったものでしたが、オークションなどを中心に人気が高まり、今では美術史を語るうえで外せないものとなっています。

そんなグラフィティアートを黎明期から現代まで描き続けているアーティストがいます。そのアーティストは、今回ご紹介する、KayOne(ケイ・ワン)です。

キース・へリングとともにグラフティアートの歴史を担ってきた!?

画家・彫刻家であった母の影響を受けて幼い頃から絵を描いていたという、KayOne(ケイ・ワン)。

彼がグラフィティアーティストとして活動し始めたのは、今から約40年も前の1983年でした。

落書きを「アート」として世界中で認知させるきっかけを作ったとされるキース・へリングが、サブウェイ・ドローイング(NYの地下鉄の広告掲示板に黒い紙を張り、その上にチョークで絵を描く)を始めたのが、1980年。

同じ頃フランスでは、KayOneがパリの地下鉄の壁や電車にグラフィティを施し、沢山の人から注目を集めていました。つまりキース・へリングと同じように、KayOneも世界でグラフィティアートの発展をリードしてきたアーティストと言えるでしょう。

多才な活躍 -パリからロンドンへ-

KayOneの肩書は、グラフィティアーティストに留まらず、ライター・DJ・グラフィックファシリテーターと多才です。

ファッションデザイナーにスカウトされTシャツ等のデザインを手掛けることになり、3週間の予定で渡ったロンドンには、結果10年間住むことになりました。

パリに戻った後には、本格的にキャンバス作品を手掛けるようになります。

「どんなに速いスピードで通過しても分かる、

シンプルで読みやすいグラフィティ」をストリート時代から意識していたKayOneは、キャンバス作品においてもミュージックコードの様にシンプルで読み解いていく面白みのある作品を多く手掛けています。

そんな彼のアートでロックを奏でる作風が、あるミュージシャンの目にとまり、アルバムのジャケットのデザインの依頼もくるようになりました。

今後の活躍は?

当時は自分の活動が美術史の一部になるなんてことは予想もしておらず、ただがむしゃらに自分の伝えたいことを表現した形が、後にグラフティアートと呼ばれるものでした。

でも今は、グラフィティアートやストリートアートがただ一時的な流行となってしまうことのないように活動していかなくてはならないと思います。グラフィティアートが生まれた当初から活動していた私たちが、文化の担い手であるという認識のもと未来へ歴史を語り、更に発展させていかなくてはいけないと思っています。

日本の皆さまにも私の作品を楽しんでいただけることをとても嬉しく思います! 
そんな中で、大好きな日本に来日を果たし、壁画を描くことが夢であり今の私の叶えたい目標です。 /KayOne


〈KayOne 略歴〉

1970 年

フランス・パリに生まれる。
画家・彫刻家であった母の影響を受けて、物心ついたころから描きはじめる。

1985年頃

パリの駅構内の壁や看板、電車に最初のグラフィティを施す。

1993年

ロンドンへ活動拠点を移す。ファッションブランド「マハリシ」の創業者ハーディー・ブレックマンらとTシャツなど制作。

2001年 パリへ戻る

2009年~

キャンバス作品がBordeauxにある文化会館にて展示される。
アルバムジャケット等も依頼され手掛ける。




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