略歴
1881年
10月25日、スペイン・アンダルシア地方に生まれる。
1892年
スペイン西部に位置するガリシア地方にあるラ・コルー二ャ美術学校に入学。学校に加え画家でもあった父・ホセより美術教育を受けるが、後に父はピカソの才能に自分自身の自身を失い、画材をピカソに託す。
1900年〜
画家仲間でもあった親友カサジェマスと共にパリへ旅立つが、翌年カサジェマスがモンマルトルで自殺。
「青の時代」(1901ー1904年)と呼ばれる、深い青色が作品に多様される時代が始まる。
また、同時期に画商ヴォラールと出会い、画廊でパリで初めての展覧会を開催。1904年〜
モンマルトルのラヴィニャン通り13番地にある共同アトリエ兼住宅「バトー=ラヴォワール」に移り、完全にスペインからパリへ移住する。そこで出会ったフィルナンド・オリヴィエと恋に落ちる。
「バラ色の時代」(1904ー1907年)へと移り、冷たい青色から温かみのある褐色の色調へと転じた。1907年〜
キュビズムの始まりとされた〈アヴィニョンの娘たち〉を制作。製作中、トロカデロのジンリィ博物館を訪ね、アフリカ彫刻に感銘を受ける。
「アフリカ彫刻の時代」(1907ー1909年)1908年〜
夏に訪れたオルタ・デ・エブロの滞在において大自然に触れキュビズムが確立される。
エヴァ・グエルと交際を始める。
仲良くもライバルであったジョルジュ・ブラックとは、新聞紙や壁紙などを貼りつけるコラージュ作品も制作する。「キュビズムの時代」(1908ー1918年)1918年〜
1917年ロシア・バレエ団のバレリーナ、オルガ・コクローヴァと知り合い、1918年に結婚。1921年には長男パウロが誕生。オルガとパウロの母子像を多く描く。
「新古典主義の時代」(1918ー1925年)1927年〜
ピカソのモデルを務めていたマリー=テレーズ・ワルテルと交際をはじめ、1935年には娘のマヤが誕生。
しかし1936年には後の作品「泣く女」のモデルとなったドラ・マールと交際を始める。この頃より陶器にも興味を抱き、陶器の産地ヴァロリスにも訪れる。1937年
パリ万博スペイン館に《ゲルニカ》出品。
1943年〜
画家志望の若い女性フランソワーズ・ジローと出会い、交際を始める。1947年にはクロード誕生。ヴァロリスに滞在し本書き的に陶器づくりを始める。
1953年〜
ヴァロリスでジャクリーヌ・ロックと出会う。その後1961年結婚。(婚姻関係にあったオルガは1955年に病死)
1963年にはバルセロナにピカソ美術館が開館。1967年
レジオン・ドヌール勲章を辞退。
ロンドンのサザビーズで青の時代の絵画《母と子》が存命中の画家として最高値で落札される。1973年
4月8日、ムージャンで死去(享年91歳)
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