略歴
1928年
7月10日、パリに生まれる。
1943年
15歳の若さで国立美術学校の入学試験に合格し、12月からユージェーヌ・ナルボンヌ教室で学ぶ。
17歳の頃にはアトリエ作品賞受賞。この年、母ブランシュ死去。《キリストの降架》(パリ国立近代美術館所蔵)などの本格的な作品を生み出す。1948年
6月、批評家賞を受賞(サン・プラシッド画廊、《ふたりの裸の男》)。以後、世界各地で個展が開催される。
ドライポイントを始める。
ビュフェはピエール・ベルジェ(Pierre Bergé)と出会い、二人の関係は同性愛でありながらマネージャーとして成功の大きな手助けとなり、約8年間の間にピエール・ベルジェの力量によってビュフェは成功への階段を登っていく。1958年
アナベル(シュウォーブ・ド・リュール)と結婚。
ビュフェにとって生涯の女神(ミューズ)であり続ける。
翌年、神奈川県立近代美術館で日本最初のビュフェ展(デッサンと版画)が開催。1973年
11月25日、スルガ銀行会長・岡野喜一郎氏によって静岡県長泉町にベルナール・ビュフェ美術館が創設。
収蔵作品数は油彩画、水彩画、素描、版画、挿画本、ポスター等あわせて2,000点を超え、世界一のコレクションを誇る。
開会式には妻アナベルが来日。1975年
フランス・アカデミー会員となる。
1980年
ベルナール・ビュフェ美術館の招待により初来日、関西方面を取材旅行する。
1993年
レジオン・ドヌール勲章のオフィシィエの称号を受ける。
1999年
10月4日、ボームの自宅にて逝去。
12月15日、ベルナール・ビュフェ美術館で、アナベル夫人が臨席し、ベルナール・ビュフェ追悼式を行う。
原画や高額な作品に関しましては、ホームページには掲載していない場合もございます。
具体的にお探しの方はお気軽にお問い合わせください。